野宿で死にかけた話Vol2
はじめに
この記事は
とりあえずなんでも Advent Calendar 2019 - Adventar
の二日目の埋め合わせ記事です。
あれは2016年5月2日…
社会人になってから、GWで四国を旅しようという計画を立てていました。でも、せっかくならしまなみで海を自転車で渡っていこうということで、広島の尾道から入って四国を時間の限り楽しむ旅になりました。
野宿で死にかけた話Vol1 - atyatya0921’s diary
で野宿はやばいと身に染みていたので、ネカフェの場所をチェックして、1日ごとに無理のないルートを引いていました。
そして初日の5月1日、良い感じにしまなみを抜けて四国入り。
ここまでは良かったのです。
最強の刺客グーグルマップ現る
二日目は道後温泉に向かっていました。
ちょっと記憶が曖昧ですが、夜9時前くらいにコンビニで休憩しながらグーグルマップを開いて、30キロくらい先にあるネカフェに泊まろうと計画していたはずです。すぐ近くの脇道に民宿があったのですが、そこをパスしたのだけは鮮明に覚えています。後でめっちゃ後悔したので。
このころはママチャリではなくクロスバイクだったので、30キロはゆっくり走っても2時間あれば行けるだろうと、11時前には到着するだろうと踏んでいました。
山の中に誘導された
5キロくらい進んだところから急に道路の灯が少なくなり、暗くなり…気づけば延々と山の中を登らされていました。登板車線とかもありました。
どんどん寒くなる。3月の北海道ではなく、5月の四国ですが、薄めのウインドブレーカーだけの装備に対しては十分脅威を感じさせるだけの寒さがありました。何より暗さがメンタルを削ってきます。
延々と移動してきた後の残りカスのような体力で、そんな不安を感じる中ガシガシと登れるわけもなく、ついには道半ばで押し歩き。
一度、前を向いても後ろを向いても灯が全くない部分に自分がぽつんと立っているだけの状態になり、車が来たらかなり危ない状態なのですが、疲れからか不安を吹き飛ばしたかったのか「うおーーー真っ暗!!」と無駄にテンションを上げて黒いだけの画像をスマホで撮影して遊んでいました。
その後車が来て我に返り、スマホの時間を見ると12時半くらいだったわけですね。
冷静に状況を整理してみた
・真っ暗で灯がない
・寒い山の中
・12時半を過ぎている
・車道横で自転車を押し歩く歩行者
こんなん歩いているだけで危険です。轢かれても文句は言えません。いつ終わるかもわからない登りの山の中、ついに野宿を決心しました。
実は
野宿で死にかけた話Vol1 - atyatya0921’s diary
でも話した後に北海道で夏に一度野宿しており(その時は夏の草むらだったので楽勝だったのですが)、四国で人生3回目の野宿となりました。
少し登るとトンネルがあって、その手前にトラックの休憩とかに使われるPAがあったわけです。そこのPAの一番明るい場所に自転車を置いて、リュックを枕代わりにして寝ころびました。隣にあったトンネルは風がなくてその分暖かったのですが、エンジン音が反響してうるさすぎました。あそこに常駐はできないなと断念。
アスファルトが本当に冷たいし、固い。人生初はベンチで、2度目は草むらだったので、ここまで劣悪な地面環境は初でした。しかも例に漏れずとても寒く、なんなら逆の山のほうにはダムがあったわけです。常に流れる水流。寒さしかない。
当然寝れるわけもなく、持ってきていた着替えを全部着込んで厚着し、常に腕で全身をこすって摩擦熱を出していました。
無慈悲な5時間
初回の反省を生かして、トラックが来たら運転手さんに助手席に入れてもらえないか、というSOSを出してみようと思っていたのですが、5時間で止まってきたトラックはいませんでした。
途中で一般車がPAのほうに寄ってきたのですが、自分と目が合った後、すぐにそのPAを立ち去っていきました。怪しいものじゃない。いや、十分に怪しいですけど。
やはり早朝5時くらいには空が白んできたのですぐさま移動を開始したのですが。
トンネルを抜けると、そこは下り坂だった
もう頂上付近でした。15分もしないうちに下り終わって、下った先のローソンでからあげクンを食べながら、あの野宿はなんだったんだろうと冷静に考えていたのですが、その時はおろか、今でも答えは出てません。
ただ、あの真っ暗闇の中、下りを安全に下れたのかという話があるので、まったくの無意味ではなかったのだ、生き抜くための犠牲だったのだと思うことにしています。
教訓
・装備のない野宿は本当にまずい
・アスファルトの上では寝ない
・山の上では野宿しない
・地図を見るときはそこが山なのかどうかも見る。傾斜も調べる
・生き抜いた後の肉はおいしい